マイセン300年以上の歴史の中で、有名な造形師や絵付け師は?
と聞かれ真っ先の思い出すのは初期でケンドラーやヘロルト、ユーゲントシュテール期ではショイリッヒ、現代マイセンではいわゆる5人組(シュトラング、ヴェルナー、シュトレ、ブレッチュナイダー、ツェプナー)などのビックネームが思い浮かぶ方も多いかと思います。
しかし、マイセンのアーティストは非常に多く、あまり名前の出ない作家が珠玉の一品、幻の名品、大作などを後世に残しています。
美術商やコレクターの経典にもなっている「Meissen Collector's Catalogue」の後半ページにはマイセン300年の歴史を支えたアーティストと作品リストがありますが、非常に多くの芸術家たちがマイセンの芸術活動に参加したことがわかります。
前置きが長くなりましたが、今回の特集はヨハン・カール・ シェーンハイト(Johann Carl Schönheit)の特集です。
上記写真中央「決定的な選択」左より五感の寓意、「視覚」「聴覚」「味覚」「嗅覚」
全て19世紀の作品で、特に中央「決定的な選択」は1800年代初頭の作品、コレクター垂涎の的です。
今回、当店のお客様T様のご厚意により掲載させていただきました。下記参照
五感の寓意は当店所有作品です。特に「視覚」は1800年代の一時にしか制作されなかったレースタイプ、ピンクドレス、台座もピンクカラーのレア作品です。
下記写真は「Meissen Collector's Catalogue」掲載写真です。
シェーンハイト…現代では十分過ぎるぐらいビッグネームで作品は非常に人気が高く、世界中には同氏の作品を専門に収集するコレクターも存在するほどです。
流通する作品は高額作品が多く、大きな作品や名作に関しては目玉が飛び出るような価格で取引される事もしばしば…
シェーンハイトを知らなくても「アレゴリー~寓意」シリーズ、その中でも最も有名な「五感の寓意」は知っていたり、美術書などで見た方も多いのではないかと思います。
特に五感の寓意はマイセンを代表するフィギュリンで、あまりにも有名かつ人気が高いゆえ、いわゆる「偽物が多い」のも特徴です。
そのぐらい人気が高く、希少価値が高いということのなります。
それだけの作品を世に生み出したシェーンハイトですが、同氏の経歴はほとんど知られていません。
謎多きアーティストなのです。
ヨハン・カール・ シェーンハイト(Johann Carl Schönheit 1730-1805)
1730年2月、シェーンハイトはマイセン磁器の機械工の息子としてマイセンに生まれました。
父親の影響で造形技術を幼年から習得し、11歳の年齢でマイセン磁器に雇用される。
1745年から正式に造形師としてケンドラーのもとで制作活動の一端を担うこととなる。
1764年からは白磁造形のトップ技師となり、以降ケンドラーやアシエの時代において非常に重要な作品を世に排出いたしました。
1772年、後にシェーンハイトの代表作となる「五感の寓意」制作
1782年、Mythology 神話オリンポス12神をJüchtzerと共同制作
1787年、大作「決定的な選択」「二人の求婚者」制作
などなどです。
上記はほんの一例でマイセンを代表する名作を数多く制作しています。
ケンドラー死後以降アシエの時代も含み、影のトップモデラーとしてマイセンに君臨しました。
俗に言う「無冠の帝王」、トップモデラーの称号がなかったため謎多き造形師となり、それが要因して逆に近代では作品の流通量が少ない事もあり人気が高くなったようです。
晩年は病との戦いで1794年にマイセン磁器を引退。
引退以降もマイセンに居住し、同氏の最高技術を後世のモデラー達に伝えたと言われています。
1805年5月27日、生涯住み続けたマイセンにて死去。
※掲載写真について
上段写真中央「決定的な選択は」大変希少な作品で、第一回目特集でも作品を掲載させて頂きました収集家M様ならびにT様のご厚意によりお借りして掲載させていただきました。
日本有数のマイセンフィギュリン所有者様で、その作品群は率直に申しまして美術館級です。
今回も快く掲載させて頂き心より感謝申し上げます。
この場をお借りして御礼申し上げます。
店主
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